「レッドサン･ブラッククロス」第３巻第８章「盛夏」より

ワシントンＤＣ郊外、ジョージタウン大学構内のドイツ北米総軍司令部にて

　何というか、彼の司令官にはどんな場合でも偉大過ぎる面があった。総統ですらそれを感じているのは明らかだった。であるなら、大佐に過ぎない彼がそれをより強く感じているのも無理はなかった。
「観光旅行はどうだったね？」
　ブロウニコスキーが入室した時、フォン・マンシュタインは珍しくも冗談を言った。どうやら私的な時間を過ごしていたらしく、以前の学長室である司令官室には普段のような重々しい空気は漂っていなかった。
「合衆国というのは、歴史を大切にする国ですな」
　ブロウニコスキーは言った。彼は司令官の口振りから、フォート・メイヤーに開設された北米総兵砧部への視察命令が短い休暇を意味していた事を確信した。

　実際、将来の大規模作戦を睨んで開設された兵砧部は人員が揃っていないため未だまともに業務を開始出来る状態になっておらず、合衆国軍が残した物を除いて、視察する様なものなどなかった。
　結局彼は司令官に命じられた時間の大半を持て余し、昨日本国で辞令を受けたばかりだという司令官が着任するまで兵砧部の司令官代理を勤めている士官学校同期生と長い昼食を楽しみ、その後でアーリントン墓地に隣接した有名な軍人の記念館を見学して帰ってきた。

「ロバート・エドワード・リーというのは、やはり大した軍人ですよ。私の様な騎兵将校に言わせるなら、まったくもって騎兵の理想というに近いと言えます。彼はどうやら、私や、閣下、貴方の様な人と同じ育ち方をしたようです」
　マンシュタインはかつての記憶を探る様に言った。
「リー将軍の父親は独立戦争の有能な騎兵指揮官だった。確か、ヘンリー“軽騎兵”ハリー・リーと呼ばれていたのではないか？」
「その通りです」
　ブロウニコスキーは答えた。まったく、この老人は戦争について知らぬ事は無いのではないか。

「そして彼の戦争も父親と全く同様に軽騎兵的なものでした。彼はあらゆる局面において正面攻撃を嫌い、兵力を迅速に運動させつつ敵を奇襲的に撃破、大迂回を行って戦略的な優位を確保する事こそが重要なのだと信じていました。まったく、我が装甲運用の教範にそのまま取り入れても良い事を実際に行っています」
「だが、ゲティスバーグで失敗した」
　マンシュタインは言った。

「計画自体は見事なものだった。いま、墓地の置かれているワシントンの対岸からポトマック川−アパラチア山脈沿いに迂回機動を行い、最終的にはワシントンの背後に回り込んで一挙にそれを奪取する。
　だが、途中で兵力量や兵站上の問題から機動性を失い、大会戦を強要された。そしてそれに敗北したのが致命的だった。おそらくは、彼にあと三〇〇〇〇もの兵力があれば、我々は合衆国の事を連合国と呼び、我等が総統は人種差別について意見を同じくする有力な盟邦を得ていただろう。いささか楽観的にすぎる見解である事は承知しているが」
「確かに」
　ブロウニコスキーは頷いた。

「そうでなければ、あのアーリントンは墓地ではなかったに違いありません。未だにリー家の屋敷だったでしょうな。希望も無く絶望もなく戦い続ける南軍の兵士達が″ロバートの旦那”と呼んだ偉大な将軍だけを褒め称える軍事的な聖地というところでしょうか。皮肉なものです。
　まぁ、我々にしてもブリュッヒャー元帥がナポレオン・ボナパルトに負けなかったからこそこうして存在している訳ですが」
「フォン・ブロウニコスキー、戦争とは人間性に対する痛烈な皮肉そのものなのだ」
「かもしれません」
　ブロウニコスキーは頷いた。

「我々が壊滅させつつあるこの国を二分した戦争で大きな役割を果たしたのは、この国へと移民したドイツ兵でした。いま、ドイツ兵はこの国を再び二分しつつあります。今度は南北ではなく東西ですが。それもまた皮肉です」
「どうやら、ティーゲルシャンツェはその皮肉を長期的に通用するものにしたいらしい」
　マンシュタインは話題を変えた。
「来月中に一般親衛隊の尊敬すべき紳士諸君がこの街に北米における新たな治安中枢を組織する。おそらく、ＳＳ−ＮＡとでも略称される事になるだろう」
「熱心ですな」
　ブロウニコスキーは表情を殺して答えた。

「しかし、我々が占領している地域に限っても、おそらく数百万のユダヤ系市民が存在しています。彼らはその意味を理解しているのでしょうか？　再び、高度な教育を受け、社会的に高い地位にある人々の多くを敵方へ追いやるという事に気づいているのですかね。彼らの大部分はあらゆる機会を捉えて未だ合衆国と呼んで良いこの大陸の西側へ逃亡するでしょう。我々は北米にもう一つのイスラエルを建国してやる事になりますよ」
「騎兵に突撃を命じた後では、どんな間違いに気づいても遅いよ」
　マンシュタインは言った。

「親衛隊は、ＳＤから選び抜かれた人材を中核に、ＳＳ−ＮＡの基幹部隊を編制した。彼らは北米統治の完璧な手法を編み出したと称しているそうだ」
「どんな手段ですか？」
「合衆国のとある人種に属する人々が抱いている特殊な人種的階層意識を利用する方法なのだそうだ」
「なんという恐ろしい事を」
　ブロウニコスキーは言った。
「彼らは有色人種まで敵にまわすつもりですか。確かに、それが中立と称している一部の州を我々の陣営に招き寄せる可能性については否定しませんが。敵を増やしすぎます」
「ティーゲルシャンツェはそうは思っていないらしい」
　マンシュタインは言った。

「総統は、〈グスタフ〉の発動について意見を我々に求めてきた。彼には、我々がなぜ進撃を停止しているか、理由がわからないらしい」
「基本計画通りの発動ですか？」
「基本計画通りだ。総統は南部に興味を示しておられる」
「信じられない」
　ブロウニコスキーは言った。「ティーゲルシャンツェは、南部諸州がどれほど微妙な立場に立っているか理解していない。なぜミズーリとの州境に兵力を集結させているのか、考えようともしていない」
　彼の言う通りだった。

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