2025年1月20日、アメリカのトランプ大統領の側近で多数の企業を所有する資産家のイーロン・マスク氏が、アメリカの首都ワシントンDCで開かれたトランプ氏の大統領再選を祝う集会で、胸に手を当ててから腕を右上に突き出すあいさつを聴衆に向けて繰り返し行った。（ロイター通信サイトへのリンク）
これがニュースサイトなどを通じて全世界に報じられると、ユダヤ人差別に反対する人々からは「これは明らかにナチス式の敬礼であって不適切な行動だ」という非難が、ユダヤ人差別を支持する人々からは「マスクは我々の味方だ、ナチ式敬礼の復活は喜ばしい」という歓迎の声が発せられた。
マスク氏本人は、「「どいつもこいつもヒトラーだ」式の非難はうんざりだ」とツイッターに投稿し、非難に反発する姿勢を見せた。
ここで驚くべきことに、在アメリカのユダヤ人団体である Anti-Defamation League (ADL) （名誉棄損反対同盟、名誉毀損反対同盟）は、マスク氏の行動を擁護し、「熱狂的な瞬間に気まずい感じのジェスチャーをしたようだが、これはナチ式敬礼ではない」と声明した。（ツイートへのリンク） （リンクa）
反ユダヤ主義に反対するユダヤ人団体は、ナチスの再来に最も敏感に反対すべきだと私の感覚では思うのだが、逆にマスク氏の弁護に回ったのだ。
これはなぜか？
カタールに本拠を置く、アラブ系の国際報道機関であるアル・ジャジーラは、この疑問に答えている。
アル・ジャジーラによると、ＡＤＬが最近最も力を入れている活動は、イスラエルの侵攻に苦しむパレスチナ、ガザのアラブ人と連帯する行動を「反ユダヤ主義」だと言って非難する活動なのだという。
この「反アラブ・パレスチナ主義」「反・反イスラエル人権侵害」という文脈で考えると、マスク氏はイスラエルを支援する活動（トランプ氏を支持している人々が多く参加している）に巨額の資金援助をしている大檀那なので、彼を非難から守ることはユダヤ人の（シオニズムの）利益にかなうことであり、ナチ云々はそれにくらべればささいな問題だ、ということになるだろう。
ちなみにマスク氏は一時ガザのアラブ人との連帯を重視するような行動をとっていたことがあるが、それは以前の話で、アル・ジャジーラによると、2023年末の時点ですでにマスク氏とネタニヤフ政権は緊密な友好的関係にある。（リンクb）
従って、ガザやヨルダン川西岸などで人権侵害を続けるイスラエルのネタニヤフ首相も、マスク氏の「ナチ疑惑」は「誤った中傷だ」と、マスク氏をかばう発言を行っている。
もちろんマスク氏擁護は世界中のユダヤ人の総意ではなく、マスク氏のナチス的行動に嫌悪感を覚え、明確に「ナチス式の身振りである」と表明し、彼を非難するユダヤ人は多い。この問題でマスク氏を非難するユダヤ人は、西欧で目立つし、アメリカにも少なくない。（リンクc） （リンクd）
特にドイツでは、マスク氏が極右政党AfDの代表と親しげに会談を行ったこともあって、マスク氏のナチス・ジェスチャーに危機感を覚える人が多いようだ。（リンクe）
なお、日本のネット上では「反ユダヤ主義にいつも強硬に非難を浴びせる「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」が、今回はマスク氏を非難していない」という発言が目立つが、実際にはＳＷＣはマスク氏の行動の即日、彼に「明確な説明、あるいは謝罪」を求める声明を発している。（リンクf）
ただ、その舌鋒はいかにも弱い。たとえば、2016年に日本のアイドルグループ「欅坂46」がナチス親衛隊を思わせる制服を着てパフォーマンスを行った事件に際しては、彼らは「むかむかする」「不適切で非常に不快」「謝罪を求める」「日本の国の恥」などと口を極めて非難を行っている。（リンクg）
それにくらべるとマスク氏への批判は、そよ風のようなものだともいえる。秋元康もユダヤ人団体にもっと献金をしておくべきだったのだろうか？
それにしても、アメリカの国内問題を調べるのにアル・ジャジーラを参考にしなければならないなんて事態が起きようとは思わなかったよ。これから四年間、世界はどう変わっていくのだろうか。