序論・「旅順攻略しない策」の是非
日露戦争において、日本軍は旅順要塞攻略に６万の死傷者を出し、５ヶ月の間、野戦４個師団と大量の物資を満州正面の戦線に投入できずに束縛されることとなった。
そこで、しばしば後知恵で、「旅順要塞など捨てておいて、さっさと第3軍を北方に転用していれば、日本軍はもっと楽に戦争ができたろう」という人がいる。
彼らの言うには、黄海海戦でロシヤ旅順艦隊は実質的に壊滅し、出撃能力を失っている。連合艦隊主力はその時点で内地に帰還して整備に移っても何ら差し支えない。
陸軍の事前の作戦では旅順は放っておくことになっていたのであるし、何も無理をして要塞を攻略する意味はない。満州正面で勝利を収めれば、旅順など放っておいても腐り落ちるだろう。
――本当にそうだろうか？ ここで少しこの「旅順攻略しない策」について考えてみようと思う。
「要塞は動かないのだから、遼東半島を横断してちょっとした警戒線でも張っておけば、あとは無視しておけばいい」というのが、「旅順攻略しない策」の漠然とした前提条件だろう。
しかし、旅順はただそこにあるというわけではない。旅順要塞内には野戦２個師団の兵力が配備されているのである。
そこに野戦兵力がいる以上、その北上を阻止するために、日本側もそれなりの戦力で防御線を築かねばならない。
なにしろ、旅順から目と鼻の先に、日本陸軍にとっての最重要補給港、大連港があるのである。要塞を攻囲している敵軍の補給港を狙って攻撃をしかけるというのは、クリミヤ戦争でロシヤ軍がさんざんやった、いわば「手慣れた戦法」である。
ロシヤ軍の攻撃を確実に撃退するには、少なくとも１個師団、プラス予備に後備１個師団はほしい。
満州正面に一兵一門でも兵力がほしい時に、半個軍が無為に大連防御陣地にいるという状況に、大本営は耐えられるだろうか。
なお、前線を大連港至近から旅順の前面にまで前進させるために、第3軍は８月上旬までを要している（その結果がロシヤ艦隊の出撃と黄海海戦）。そこから半個軍を残して北転しても、遼陽会戦には間に合わない。
もちろん、史実で生起した大損害と砲弾の大量消費は起きないから、沙河の会戦では日本軍いくぶん有利だろう。しかしそこで決定的勝利を収められたかというと、あまりそうは思えない。
そして真の決戦たる奉天会戦に、日本軍は正規１個師団後備１個師団欠で挑まねばならないのだ。日本に13個しかない正規師団のうちの１個である。これは身を切られるほどつらいことではないだろうか。
まあ、史実においては第3軍は旅順で大出血しているから、北転して奉天会戦に臨んだ第3軍はピカピカの正規師団ではない。しかしそれは「旅順を攻めれば６万の大損害が生じる」とわかっている現代のわれわれの認識である。
第3軍を完全にフリーにするためには、やはり旅順要塞本体を攻略して後顧の憂いを断っておかねばならないのである。
また、遼東半島を遮断しておけば、旅順要塞は補給物資の不足から自滅するだろう、という考えもある。しかしこれも誤っている。
史実の旅順攻防戦の期間中、陸軍は何度となく海軍に「海から旅順に入ってくる補給物資のルートを断ってほしい」と要請している。
これに応じて海軍は、旧式艦を中心とした部隊で旅順の西側海面を警戒させるのだが、なかなか密輸を遮断するに至っていない。
なにせ、レーダーなどない時代だ。夜陰に乗じて小型船で物資を運んでくれば、限られた海軍の艦艇でそれを完全に捕捉するのは難しい。
しまいには、夜間に旅順港から出撃したロシヤの機雷敷設隊が設置した機雷原にかかって、次々と艦艇がやられてしまう。この労苦と損害に耐え切れず、旅順攻略前の1904年晩秋には、海軍は旅順の封鎖をあきらめて、旅順の西側海面から艦艇を引き揚げてしまうのである。
その後、二百三高地を攻略した第7師団がその目に見て驚いたのは、遼東半島先端部の漁港から旅順市街へ延々と伸びる補給物資の荷車の列であった。
このルートが途絶されるのは、二百三高地の戦闘が終結して、第7師団が旅順要塞西側を陸面から完全に包囲してからのことである。
つまり、旅順攻略戦のほぼ全時期において、旅順への補給路は細々ながら保たれていたのである。これでは兵糧攻めは成立しない。
そしてもう一つ重要なのが、日本軍には「勝利」が必要だということである。
外債募集のためには、日本軍は連戦連勝でなければならない。日本軍がロシヤ軍を恐れている、というような評判が立っては非常に困る。
そういう状況下で、旅順要塞が健在のまま残っていたとしたらどうだろうか。ロシヤ軍は全世界に、日本軍はロシヤの鉄壁の守りを恐れて旅順に攻めて来ようともしない臆病な軍隊だ、と宣伝するに違いない。
また、旅順港が健在なら、バルチック艦隊はマダガスカルで無為に漂泊するようなこともなく、まっすぐ極東にやってくるかもしれない。士気も高いだろう。
なんとかバルチック艦隊を撃破して講和に持ち込んだとしても、講和会議において、旅順が日本占領下にあるかロシヤの手に残っているかというのは相当大きな材料になる。小村全権は史実にもまして苦しい交渉を強いられるだろう。
こうした外交的条件から見ても、旅順要塞本体攻略は日露戦争遂行において必須要件なのである。
折衷案として、大出血が見込まれる要塞本体への攻撃は行わず、二百三高地のみを攻撃して旅順艦隊を葬り、その後第3軍主力は北転して、旅順は包囲下にとどめる、という案もある。
しかしこれは下の下策だろう。第3軍の完全転用はかなわず、旅順要塞は健在で、しかも二百三高地攻撃の準備攻撃のためにはかなりの日数と兵力を要する（二百三高地は遠いのだ）。
日本軍が西側正面に主力を移動させたことはロシヤ軍にもわかるから、ロシヤ軍も二百三高地を手薄にしておくことはないだろう。短いながらも屍山血河の激戦が行われるのは必定である。しかも日本軍には28サンチ榴弾砲の支援はないのだ。
28サンチ榴弾砲がないから、史実のように数日で旅順艦隊を覆滅するというわけにもいかない。
下手をすると、港外、老鉄山の陰に、旅順艦隊の残存戦艦４隻が隠れて、日本海軍はその始末にいよいよ苦慮することになりかねない。
つまり、旅順要塞東正面総攻撃というのは、当時の日本軍にとってとり得る最良の作戦だったのだ。それでもなお攻略に５ヶ月の時間と６万の損害が必要だったというなら、それは近代要塞を当時の日本軍の技術と装備で陥とすには必要最小限のコストだったのではないだろうか。
これは、死んでいった兵隊さんたちにとっても、それを指揮した乃木大将にとっても、確かにつらい結論ではある。しかし、世界最強の陸軍国が作った世界最新の要塞を陥とすのに、それ以下のコストですむと考えるのは、ちょっと考えが甘いんじゃないかと思う。
旅順攻略戦の時期的区分
旅順攻略戦は、一般的には第一次・第二次・第三次総攻撃の３期に分けて記述されることが多い。しかしこの時期区分はちょっと大ざっぱすぎると思われる。
本稿では、全攻略戦を以下の７期に分けて記述しようと思う。
・攻囲準備攻撃
・第一次総攻撃
・第二次総攻撃準備攻撃
・第二次総攻撃
・第三次総攻撃
・二百三高地攻略戦
・第四次攻撃
攻囲準備攻撃
乃木大将の第3軍司令部は明治37年（1904年）6月6日に遼東半島南部の塩大澳から大陸に上陸した。同時に、遼東半島南部を制圧しつつあった第2軍から、第1師団（東京）と第11師団（善通寺）が分割されて第3軍指揮下に入った。
両師団は上陸点から南西に向かい、補給港たる大連湾を確保するとともに、旅順要塞内に潜むロシヤ軍2個師団の突出に備えていた。
（グーグルマップ改変）
ロシヤ軍はいまだ大連湾近辺に前進陣地を構え、大連湾を視認しうる位置にあった。第3軍の緒戦は、まずこの前進陣地を奪うことであった。6月26日に攻撃命令が下り、諸隊は激戦ののち大連湾を見下ろす山頂を占領することに成功した。山頂からは遠く旅順方面をも望むことができた。
ロシヤ軍は何度か山頂を奪回すべく反撃を行ったが失敗し、陣地線を一段下げた。
これに対し、第3軍は一時停止して後続諸隊を待った。これは、不十分な兵力で要塞に近接して要塞本体からの砲火を受けながら攻囲準備を行うよりも、十分な兵力と資材をもって一気に要塞線に突進し、急速に攻城準備を整えようという意図によるものだった。
待つ間に、第3軍の主力を構成するもう1個師団、金沢の第9師団が砲兵を伴って来着した。7月25日、第3軍はこの兵力をもって旅順の前進陣地奪取の作戦を開始し、28日までにロシヤ軍前進陣地を占領した。ロシヤ軍は艦隊を出撃させて海からも日本軍の左翼への反撃を行ったが、日本軍はこれに耐えて攻撃を続行したため、ロシヤ軍は反撃をあきらめて撤退した。
事前の計画に従って第3軍は急速に追撃を行い、7月30日までに旅順の外郭防御線の近傍まで敵を押し込めることに成功した。
特に右翼の第1師団の前進は目覚ましく、遼東半島西端をなす双島湾岸まで前進して、ロシヤ軍の支配地域を押し狭めることに成功した。
しかし、旅順要塞と第3軍の左翼（南東側）との間にはなお大孤山と小孤山のふたつの山があり、ロシヤ軍はこれを陣地化して日本軍の背後へ砲撃を行う構えを見せたため、8月6日から左翼の第11師団はこれらの山頂を攻撃して、数日の激戦ののちこれを奪取した。大孤山小孤山は旅順要塞東正面の陣地群と相対する形となった。
続いて右翼の第1師団はさらに前進して双島湾の南岸に至り、短いながら激しい戦闘を行って、旅順要塞西翼の陣地群と相対する丘陵を占領した。
これらの行動によって、日本軍は総攻撃の起点となる攻囲線をほぼ確定した。総攻撃に備え、日本軍は順次後方の交通路を整備するとともに攻城砲兵の展開を急いだ。
その間、海軍から派遣された陸戦重砲隊（76mm砲、120mm砲を装備、隊長黒井悌次郎中佐）も展開し、8月6日に旅順西港内へ砲撃を行っている。ロシヤ艦隊はこれに反応したか、8月10日に旅順を脱出して長駆ヴラジヴォストークへ遁走を図ったが、日本艦隊の妨害にあって果たせず、翌日旅順港内に帰着した（黄海海戦）。
日本軍の前進
旅順要塞の構造とそれに対する攻撃方針
旅順口は、その北東側に屏風のように立つ丘陵に守られ、北正面にはいくつかの高い山が連なり、西正面の山稜はやや低く、西のはずれから港を守るように突き出る老虎尾半島まで丘陵が点在している。
つまり、大連方面からの敵（日本軍）の攻撃を最も受けやすい北東正面がいちばん堅固な地形となっているのである。
ならば、弱点たる西正面から攻めるのが得策のように思われるが、問題は攻城砲兵の配備である。
旅順市街への鉄道はやや東に曲がって半島を縦断しており、西正面へは通じていない。主要な道路も要塞東側と北側から旅順市街に通じており、西側へ通じる道路はない。
大量の砲弾の補給を要する攻城砲兵の展開には、良好な補給路が必要である。西正面から攻めるには、おそらく数十日を費して鉄道などの交通路を建設しなければならない。
また、北東正面の攻撃の際には、谷をひとつはさんだ大孤山などの観測地点が利用できるが、西正面にはそれに類する観測拠点となる地形がない。
さらに、西正面に至る攻撃路を建設している間に、要塞内の野戦軍が突出してきた場合どうするか。
敵攻城軍の補給路を狙って要塞兵が大挙突出攻撃を行うというのは、50年前のクリミア戦争でロシヤ軍が好んだ作戦である。日本軍の長い左翼（東翼）に十分な兵力を配置しないと、突出作戦に対応することはできず、それらの兵力は攻城戦本戦には利用できない。すなわち忌むべき兵力の分散使用となってしまう。
では、二百三高地などからなる要塞北正面からの攻撃はどうか。
これも砲兵陣地への補給路はやや遠くなる。また、この部分の要塞の防御は重なる山稜を利用して二重三重の複線陣地となっており、攻略には時間がかかる。
二百三高地そのものも、要塞主陣地から見ると前進陣地のひとつであり、これを攻略してもその前にはさらに要塞の主陣地がそびえ立っているのだ。すなわち、二百三高地を落としても要塞は落ちない。
これに対し、北東正面の要塞主陣地はむき出しで外に面しており、この一線さえ突破すれば旅順要塞の防御は崩壊する。最強地点は同時に最弱点でもあるのだ。
また、上に述べた通り、北東正面の攻撃には第3軍全力での攻撃が可能であり、遊兵を生まない。明確な主攻軸の設定と、その主攻軸への全力の集中が可能なのだ。メッケルはクラウゼヴィッツを引いてこう教えなかったろうか？「重点への集中こそ攻勢の成功の鍵である」と。
第3軍司令部は、要塞北東正面への全力集中攻撃を選んだ。これは戦理にかなった選択であった。
旅順攻略戦概観図
旅順要塞全体図 爾霊山（二百三高地）は遠い
第一次総攻撃の戦術
第一次総攻撃は、歩兵による強襲戦術によって行われた。これには多少当時の時代背景の解説が必要である。
種子島以来銃身そのものの基本構造が変わらないマスケット銃に替わって、長射程のライフル銃が普及したのは1850年ごろ、日本の幕末のことである。
それ以来の歩兵銃の発達は日進月歩で、南北戦争、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争、普墺戦争、戊辰戦争、露土戦争と、より進んだ銃を装備する軍が、装備の劣った軍を圧倒する戦争が相次いだ。
それは戊辰戦争を経験した日本人も身にしみて理解していたことで、日露戦争当時の日本陸軍が装備していた三十年式歩兵銃は、当時の世界の水準から見ても遜色ない一流の歩兵銃だった。
歩兵火力の飛躍的な増大に対して、砲兵の発達は遅れていた。露土戦争においては、砲兵の射程が歩兵に劣るために砲兵が有効な支援射撃を行えないという事例まで発生した。（リンク）
砲兵の有効性の低下を見て、世界の陸軍は、歩兵こそが新しい戦争の主力であり最大の戦力ではないかと考えるようになった。ならば陣地戦では？ 砲兵が頼りにならないとしたら、歩兵が突撃して陣地を奪うしかないのではないか。
これが強襲戦術の発想である。
列強の軍隊も、クリミア戦争以来まともな要塞攻略戦などやったことがないのだ。南北戦争でも、普仏戦争でも、勝利を決定したのは野戦の結果である。あとに取り残された要塞はいずれ降伏するほかはなかった。
ところが旅順は違った。野戦とは関係なく、軍港を守るために存在し、それを陥とさないという選択肢がない。火力が増大した世界での、不可避な要塞戦。日本軍は、世界のだれも経験したことのない戦闘を強いられることとなった。
ところが、軍事技術は要塞を守る側にもその発展の恩恵を与えていたことにだれも気づいていなかった。
ひとつは高性能の榴散弾。18世紀末にはすでに存在していた榴散弾だが、冶金技術、火薬の技術、信管の技術の発展により、榴散弾（砲弾の中に無数の金属の小玉が詰めてあり、砲弾が上空で炸裂すると小玉が地表に雨のように降り注ぐ砲弾）はこの時代には恐るべき威力を発揮するようになっていた。
無煙火薬（1890年代に実用化）と鋼の砲身の開発によって、大砲の発射薬の力量は飛躍的に増大し、砲兵の射程は伸びていた。後方の陣地から撃ち出される榴散弾は、攻め寄せる歩兵の頭上から金属弾の雨を降らして歩兵を効率的に殺傷した。歩兵には鉄兜すらない時代である。ドラマ「坂の上の雲」では、この榴散弾の炸裂が明瞭にわかる特撮を行っている。
ついで鉄条網。長篠の昔から、敵の前進を妨害する障害物を陣地の前に置いて、そこに引っかかる敵兵を射撃するという戦術は有効だった。それを安価に軽量に発展させたのが鉄条網である。これは1902年のボーア戦争から軍隊に導入された新兵器で、その威力は世界のだれも知らなかった。
そしてみなさんご存じの機関砲。無煙火薬の発明により、連続射撃しても火薬の煙で前が見えなくなることがなくなったため、この種の兵器の有効性は格段に上昇した。マキシム機関銃の開発が1885年、ロシヤ軍の採用が1899年である。これによって、開けた地表を歩いて進む歩兵は格好の的になってしまった。
この3つが効果を最大限に発揮したのが、旅順要塞であった。
第一次総攻撃の実施
第一次総攻撃は、8月19日の準備射撃から始まった。
日本軍の配備は北から第1師団、第9師団、第11師団の順で、第1師団の第一目標は要塞北西正面の前進陣地である大頂子山、第9師団の第一目標は要塞東北正面の最左翼の前進陣地である龍眼北方堡塁、第11師団は要塞東北正面の主陣地である盤龍山堡塁〜東鶏冠山堡塁であった。
第1師団の攻撃は激戦の末成功し、大頂子山のロシヤ軍部隊は撤退したが、第9師団の龍眼北方堡塁への攻撃は撃退された。
その間準備砲撃は引き続き行われ、要塞主陣地への砲撃の効果ありと判定されたので、8月21日早朝から、第9師団・第11師団をもって歩兵衝力による東北正面への強襲が開始された。第9師団の目標は盤龍山東堡塁、第11師団の目標は東鶏冠山堡塁と、ほぼ要塞陣地の中央を突破しようという作戦である。
しかし、この程度の砲撃では要塞火力はほとんど減殺されていなかった。日本兵の隊列は、攻勢発起点から要塞陣地前面の歩兵散兵壕に達したところで要塞の砲台から猛烈な射撃を受け、砲兵と工兵の支援を受けて歩兵壕を突破しても、要塞陣地からの砲撃と機関銃射撃によって大損害を受ける。さらに要塞陣地は相互に火力支援が可能なように設計されており、左右側面のロシヤ軍砲台からの砲撃も受けて、日本軍の攻撃部隊はすさまじい損害を被った。
要塞陣地に取りついた部隊も、要塞第二線と左右の堡塁から猛烈な射撃を受けてみるみる消耗し、強固な陣地を占拠することはできなかった。ロシヤ軍の砲火は北西正面の椅子山、案子山からも注がれ、前線は鉄と炎の地獄と化した。
それでも日本軍は攻撃を続け、翌22日午前には第9師団は盤龍山東堡塁に突入した。ここは要塞線の中でもやや防御が薄弱な野戦陣地に近い拠点で、砲撃によって構造が破壊されたところへ突入が成功したのだった。第9師団はここを手がかりにして攻撃を続け、隣の盤龍山西堡塁も占拠することができた。
第11師団は東鶏冠山堡塁群に突撃したが、攻撃部隊はほぼ粉砕され、敵火力に阻まれて前線に後続部隊を送ることも武器弾薬を補給することもできない窮地に追い込まれた。
第3軍司令部は第11師団の正面攻撃を中止し、第11・第9師団の両部隊をもって、第9師団が奪取した盤龍山堡塁から南に突破を図った。しかしその攻撃正面にあたる望台堡塁は頑強かつロシヤ軍の火線の集中地点にあって、日本兵は望台斜面に屍体の山を築いた。ここに至って日本軍の損害はおびただしく、第3軍司令部は24日夕刻をもって攻撃を中止した。
その間第1師団は旅順の真北にあたる水師営周辺の諸陣地を奪取したが、大頂子山と二百三高地の間に盛り上がる海鼠山（なまこやま、日本側の呼称。中国語名は南山坡山）への攻撃は、ロシヤ軍の激烈な反撃を受けて、その一部の占拠に成功するにとどまった。
中央左の「赤坂山」の南西にある山が「爾霊山」すなわち二百三高地。
4日間の戦闘で、日本軍は1万5000人の死傷者を出した。これに対しロシヤ軍の損害は3000人で、相互に大きな損害を出したといえるが、要塞陣地の奪取ができなかった以上は日本軍の大敗北であった。
第二回総攻撃への準備
第一回総攻撃の失敗を見た第3軍司令部は、戦法を正攻法に改めて、第二回総攻撃の準備にとりかかった。準備の開始は9月1日である。
正攻法、英語で言えば formal siege とは、塹壕を掘る工兵作業によって、攻城側の兵員と資材を要塞に近づけて攻撃する攻城法である。
この技術は18世紀に確立したが、1904年においてもその基本は変わっていない。古臭いが避けて通れない技術なのだ。
18世紀のフランスの天才的築城・攻城技術者であるセバスティアン・ド・ヴォーバンがその技術を大成した。
攻城側の塹壕は、敵に接近するための稲妻型の壕と、各壕の相互支援を行うための平行壕からなる。接近壕が稲妻型なのは、まっすぐだと敵の射線が奥まで通ってしまうからである。
最前線の平行壕は、突撃のために兵員が準備する場所となる。
これらを図式化したのがリンク先にあるヴォーバンの攻城教本にある図である。一見すると要塞の施設のように見える蜘蛛の巣状の壕が、攻撃側の工事によるもので、要塞のすぐ目の前まで接近できるように作られている。
これによって、攻撃時に敵の射撃を受ける距離を一寸でも短くするのが正攻法の基本なのである。
これらの工事によって攻撃側の危険は少なくなるが、当然ながら敵前で壕を掘り進めるには手間も時間もかかる。日本軍は、当初予定のように一気に要塞を落とすのではなく、じっくり腰を据えて攻めることを余儀なくされたのである。
第二次総攻撃では、この正攻法による歩兵突撃を支援するために、砲兵火力が重視された。
第一次総攻撃が歩兵の衝撃力に頼ったものとするなら、第二次総攻撃は砲兵火力による攻撃であった。
そのために、日本軍はとっておきの兵器を運び込んでいた。二十八珊榴弾砲である。（「珊」はフランス語 centimetre の略、センチメートルのこと。28cmはこの大砲の口径）
この砲はもともと本土の要塞に据え付けてあった海岸防備用の大砲であり、当時の日本陸軍が保有する最も大きな大砲であった。日本軍の大本営はこれを要塞からはずして旅順での攻城砲とすることを決定したのである。
第一次総攻撃前からこの砲の配備は議論されていたのだが、当初は歩兵強襲で一気に要塞を攻略するつもりでいたために、第3軍司令部では、送らなくていい、と一時拒絶していた。
しかし第一次総攻撃の歩兵強襲の失敗を見て、今度は砲兵で行く、と決めた第3軍は、二十八珊榴弾砲を受け入れることにした。
本来この砲はコンクリートで砲台を作って据えつけるものだが、急いで攻撃に参加させるために、木材を使って臨時の砲台が築造された。第一陣として送られた数は6門である。
海軍陸戦重砲隊もその装備を増強し、十五拇砲（15サンチ砲、口径は6インチ＝15.24cm）がその砲列に加わった。
総攻撃に先立ち、敵主陣地への工事を妨げている敵前進陣地の奪取が企てられた。
目標は第9師団前面、北東正面主陣地北方に突出した龍眼北方堡塁と、そのやや西方、第1師団正面にあり、北東正面陣地と北西正面陣地の間に位置する水師営南方堡塁である。
これらの陣地へも対壕工事を行い、9月19日に至って陣地正面から50mの距離にまで接近したところから攻撃が開始された。
工事の効果と砲撃支援の助けも得て、攻撃は成功した。龍眼北方堡塁は19日から20日にわたる夜間戦闘の末、20日に日本軍の手に落ちた。
水師営南方堡塁では第1師団はやや苦戦したが、20日正午には目標の陣地を奪取することに成功した。
第1師団は同時に海鼠山と二百三高地の奪取も企てていた。海鼠山に向かった部隊は19日夕刻から攻撃を開始し、砲兵火力の支援を得て敵歩兵と接近戦を演じた。海鼠山の日本軍は一時敵砲火によって釘付けになり、進むことも退くこともできない状況に陥ったが、20日日中から日本軍砲兵は猛烈な射撃を海鼠山に加え、これに力を得た歩兵部隊は夕刻から再度突撃を行って海鼠山全体を奪取することに成功した。
一方、二百三高地の前進陣地は構造が堅固で、度重なる日本軍の砲撃によく耐えた。19日夕刻には日本軍歩兵の攻撃が開始されたが、南方のロシヤ軍陣地から猛烈な榴散弾による砲撃を受けて大損害を被り、攻撃は頓挫した。
20日にも二百三高地の山腹では激烈な接近戦が行われたが、日本軍砲兵陣地から遠い二百三高地では相対的にロシヤ軍の火力が勝り、周囲の砲台からの集中射撃を受けた日本軍歩兵は相次いで倒れた。二百三高地は周囲の山稜より高く、砲台の射撃目標として狙いやすい地形だったのだ。
占領した海鼠山からも側面攻撃が試みられたが、これも成功せず、23日未明までに日本軍は攻撃を断念して出撃陣地に戻った。
海鼠山からはわずかに旅順港内の一部が望見できたので、海軍重砲隊と二十八珊砲（要塞北東方面に配備）は9月28日から港内への砲撃を試みたが、10日ほどでロシヤ艦船が山陰の観測不能水域に隠れたために砲撃は中止された。
前進陣地の奪取をもって要塞主陣地線への工事はさらに進捗を見た。第1師団は東北正面陣地の最西端にあたる松樹山堡塁へ、第9師団はその右隣（ロシヤ側から見て。東側にあたる）の二龍山堡塁へ、第11師団は第一回総攻撃と同じ東鶏冠山堡塁へ向けて工事を進めた。
その間、日本軍の砲兵戦力はまた一段の強化を加えられ、二十八珊砲さらに12門と十五拇海軍砲2門が増備された。
第二回総攻撃の実施
前進陣地の戦闘で、対壕戦術による損害の減少と砲兵火力による支援の有効性を実感した第3軍は、工事の進展を見て、10月26日をもって第二回総攻撃を開始することを決定した。
最初の3日間は準備砲撃が行われた。二十八珊砲の威力はすさまじく、ロシヤ軍堡塁の備砲は損傷し、胸壁の一部は破壊され、さらには堡塁の弾薬庫が誘爆するものもあり、第3軍司令部は砲撃の効果に自信を持った。
26日午後からはついに歩兵の突撃が順次敢行された。前回とは違い、堡塁前面のロシヤ軍散兵壕を奪うとそこを工兵が強化して新たな前進陣地となし、日本兵は壕に守られながら一寸刻みに前進した。
10月30日、ついに日本軍の前進壕は目標の堡塁の目の前に至った。この日の午後1時を期して、要塞主陣地に対する歩兵の一斉攻撃が下令された。猛烈な支援砲撃のもと、日本軍の歩兵は壕を飛び出して目の前の敵堡塁に突撃した。
――突撃した日本兵は何を見たか。それは、堡塁の全周を囲う深い空堀（外壕）だった。堡塁の本体は、飛び降りるのも難しく飛び越すには広すぎる堀の向こう側にあったのだ。
堀の岸で躊躇した日本兵は、周辺の堡塁からの砲撃になぎ倒された。思い切って堀の底に飛び降りた日本兵は、堀の側面にある砲座からの砲撃と機関銃による銃撃を受けて次々に倒れた。堀の向こう岸には手がかりもなければ入り口もなかった。
堀はまさに人を殺すための悪魔の構造物だった。あわててもとの岸によじ登ろうとした日本兵は、堀の外側の岸に埋め込まれた銃座からも射撃を受けて射殺された。
堡塁の周囲は日本兵の死体で覆われつつあった。後方から工兵が呼ばれ、携帯できる簡易な橋をかけようとの試みがなされたが、工兵も敵堡塁からの射撃と爆弾の投擲を受けて装備を破壊された。工兵はなおも堀の岸を崩して突入路を作ろうとしたが、わずかな円匙と土嚢では、堀の構造を破壊することも堀を埋めることもできなかった。
筆者がイタリアに旅行した時、この旅順の堡塁とほぼ構造が同じの陣地跡を訪ねたことがある。イタリア北東部のヴェローナ市を守る堡塁のひとつ、フォルテ・ルガニャーノの写真をいくつか紹介しよう。
この陣地は1860年代に築造されたもので、世代としては旅順要塞よりひと回り古いものであるが、基本的構造は共通している。
グーグルマップの画像。左側が敵側
陣地の入り口は背部に一箇所だけある。敵側の面には一切入り口も手がかりもない。
堀に入ると、側面の銃眼からの射撃にさらされることになる。内側の壁は手がかりひとつない垂直の石組みだ。銃眼がずらりと並んでいる。
同じくヴェローナを守る堡塁のひとつ、フォルテ・ジゼッラの構造図を示す。周囲を囲む堀と、堀の中を効果的に掃射できる側面銃座からなることがわかる。周囲に向けて射撃を行う砲座はその内側に隠されている。
旅順の陣地はこれよりさらに発展して、敵側の堀の岸にも多数の銃座を配した構造になっている。「坂の上の雲」ファンサイト「春や昔」さんのページから、東鶏冠山堡塁の図を掲載したこのリンクを参照願いたい。
この日の攻撃はほぼ失敗に終わったが、第9師団左翼部隊はＰ堡塁（東鶏冠山堡塁の北隣に突出した堡塁。コンクリートの工事は未完成）に突撃して敵歩兵と混戦に持ち込み、予備隊を指揮した一戸兵衛少将自ら堡塁に突入してこれを奪うことに成功した。日本軍はこの堡塁を「一戸堡塁」と呼称することにした。
また、第11師団は東鶏冠山堡塁群の中にあってやや外側に露出する瘤山堡塁を占拠し、確保することに成功した。
翌日も攻撃は続けられたが、要塞構造物の突破は難しく、堡塁周囲において近隣の砲台からの射撃を受けた日本軍の歩兵の損耗は激しかった。敵前で工兵による掘削が行われたが、敵火線下では作業は難しく、満足な効果は上げられなかった。
第3軍司令部は31日午後に攻撃の中止を命令し、第二次総攻撃はまたしても大きな効果を上げないまま終了した。
9月の準備攻撃から10月31日までの戦闘による死傷者は、日本軍が約7800名、ロシヤ軍が約5900名だった。
ここに至って第3軍司令部は実感した。砲兵火力では堡塁内部に損害を与えられても、堀を中心とする堡塁の構造そのものを破壊することはできない。堡塁の構造を破壊しなければ、歩兵はその内部に侵入できない。従って、次の総攻撃は工兵による地下からの掘削・爆破で堡塁そのものを破壊するのがその主題となる、ということを。
第一回は歩兵、第二回は砲兵が主役であった旅順総攻撃は、今度は工兵によって戦われることとなるだろう。
第三次総攻撃
度重なる戦闘と損害に苦しむ第3軍に対して、大本営は日本に残る最後の予備兵力である旭川第7師団を増派することを決定した。第7師団先遣隊は11月19日に大連に到着した。
第3軍司令部は第7師団を予備として控置し、第三次総攻撃は従来の戦力、第1・第9・第11師団の3個師団をもって行うこととした。
第三次総攻撃に先立って、各堡塁に対し坑道・塹壕を進める工兵作業が盛んに行われた。第9師団正面の二龍山堡塁に対しては、堀の外側の壁まで掘削が進んで外側銃座を占拠するとともに、越壕のための橋の搬入準備が整った。第11師団正面の東鶏冠山堡塁に対しても、堀の外側の岸はほとんど日本軍の制圧下となった。同陣地北堡塁に対しては堀の外壁と内側陣地の爆破準備が整った。第1師団正面でも堀の突破と内側陣地への登攀のための準備が進捗した。
このような正攻法の準備進捗とともに、第3軍では要塞内への奇襲攻撃を計画した。各師団から数個大隊の兵を集成した約3000名の特別支隊を編成し、旅順市街真北の街道筋から市内に乱入しようというのだ。
従来、東北正面への総攻撃に際しては、ロシヤ軍は北正面の兵力を抽出して反撃に用いている気配があったため、ロシヤ軍が東北正面に気を取られたすきに特別支隊が突入するのは不可能ではないと考えられた。
こうして、工兵作業によって敵堡塁奪取の準備を整えた第3軍は、11月26日をもって第三次総攻撃の日と決した。
この日の午前中は砲兵による突撃援護射撃が行われ、各師団は午後から一斉に本攻撃を開始した。
松樹山堡塁を担当する第1師団は午後1時から攻撃を開始し、堀の底から陣地の胸壁にはしごをかけて堡塁内部への侵入を図った。しかし陣地構造物内部への侵入は、ロシヤ兵の射撃、爆弾の投擲、銃剣による格闘によって阻止され、堡塁頂部に露出したままの突撃部隊は近隣堡塁からの射撃を受けて大損害を被った。
第9師団は二龍山堡塁に向けて攻撃を行い、堡塁上によじ登って内部への侵入を図った。突撃部隊は猛進して堡塁中庭にまで達したが、堡塁の構造物への侵入はここでも果たせず、ロシヤ歩兵の近接戦闘によって撃退された。
第11師団は東鶏冠山北堡塁の地下に爆薬を設置してこれを爆発させ、一気に堡塁内部への侵入を図った。しかし破壊は不十分で、突撃部隊は堀の底で渋滞するうちに頭上から無数の爆薬の投擲を受けて多くの死傷者を出した。
特別支隊は26日の夕闇の中、旅順への侵入を開始したが、午後8時50分、月が昇る前の闇の中で松樹山の側面堡塁の正面に出てしまった。堡塁からの射撃と地雷の爆発によって支隊は大損害を被り、支隊長中村覚少将が重傷を負うに至って、支隊はやむなく撤収した。
27日朝に至って、各部隊の攻撃が撃退されたことを知り、第3軍司令部は攻撃中止を下令した。この日、前線で攻撃を指揮していた第11師団長の土屋光春中将は頭部に銃創を受けて重体となり、後送された。師団の指揮は軍司令部に工兵のエキスパートとして参加していた鮫島重雄中将が取ることとなった。
総攻撃はまたしても失敗に終わった。工兵作業の不足は明白であった。次に打つ手は、より大規模な工兵作業により、地下から堡塁全体を爆破してただの爆破孔に変え、もはや堡塁ではなくなった地点を占領するという手法しかない。そのためには準備に期日が必要だった。
二百三高地攻略戦
しかし日本軍の全体的状況は、そのような悠長な準備を待っている余裕はなかった。特に2月以来旅順近海で警戒を続けている日本海軍は限界に達していた。
10ヶ月もの間ろくな整備もせずに粗末な泊地に浮かんでいた各艦は故障や整備不良が相次ぎ、また旅順西部の海上で旅順口への海上輸送を断つべく行動していた海軍の艦艇は、相次いで機雷に触れて沈没艦が多数にのぼっていた。
10月には、ロシヤ本国に基地を持つバルト海艦隊から、新型戦艦多数を含む強力な艦隊が抽出されて第2太平洋艦隊が編成され、アフリカの南を回って極東に近づきつつあった。
これに対抗するには、一日でも早く艦隊を日本本土に戻して大修理を行わねばならない。
そのためには、旅順口に隠れひそむロシヤ第1太平洋艦隊、すなわち旅順艦隊を無力化する必要がある。
そのために陸軍は苦労して旅順攻略戦を進めてきたのだが、前述の通り攻略にはまだ長い時間がかかる。
ではどうするか。
海軍の提案はこうだ。二百三高地を早期に奪取して観測点を設け、二十八珊砲をもって港内の艦艇を狙い撃ちにして沈めてほしい。旅順艦隊が壊滅すれば、日本艦隊は本土に帰れる。
二百三高地へは、第二次総攻撃準備攻撃の際に第1師団が攻撃をしかけたが、火力支援の不足によって撃退されていた。
第四次総攻撃までにはしばらく時間がある。その間に砲兵陣地を転換して西北正面に集め、砲兵火力の支援の下に二百三高地を奪取することは不可能ではないと考えられた。
二百三高地は要塞本体陣地ではなく、コンクリートで固められた堡塁はない。砲兵火力によって制圧が可能なことは、これまでの戦闘によって明らかだった。
砲兵の支援のもと、ここで一大歩兵戦闘を行えば、ロシヤ軍もやむなく要塞内の野戦兵力をもって反撃を行わざるを得ないだろう。そうすればそれを砲撃によって減殺し、旅順要塞から反撃力を奪うこともできる。
要塞に対する砲兵の効果は限定的だが、ここ二百三高地は、いわば要塞の外の野戦である。そこでなら、二十八珊砲をはじめとする砲兵は、その威力を遺憾なく発揮するであろう。
また、この攻撃にとって、第三次総攻撃はあたかも一大牽制攻撃、陽動となったかのように考えることもできる。
大本営からも指示があり、第3軍司令部は第四次攻撃の前に二百三高地攻略戦を行うことに決した。そこは大損害を伴う激戦地となるであろう。しかしそれは攻防双方にとっての多大な損害であって、予備兵力が多ければ押し切ることは可能だ。
予備兵力。
要塞に閉じ込められたロシヤ軍にはそれはない。しかし、日本軍にそれはあった。そう、先に述べた旭川第7師団である。
11月27日から砲兵部隊の正面転換と準備射撃が始まった。夕刻からは第1師団の歩兵部隊も順次突撃し、二百三高地とそれに隣接する赤坂山山腹では激烈な歩兵戦闘が行われた。
ロシヤ軍陣地からも猛烈な砲撃が行われ、西正面の太陽溝堡塁などからの射撃が二百三高地に集中した。
しかし火力では日本軍が上回っていた。二十八珊砲はロシヤ軍の歩兵陣地を破壊する威力を発揮し、その他の砲兵はロシヤ兵の殺傷に威力を振るった。
歩兵戦は当初やや日本軍に不利だった。ロシヤ軍は二百三高地を「ヴイソーカヤ・ゴラー（高い山）высокая гора」と呼んで重要拠点としていた。高所の利を得たロシヤ兵は攻め登る日本兵に銃火、爆弾、投石を見舞った。11月29日に至っても日本軍は二百三高地山頂を占拠できなかった。
11月30日、第1師団の力は尽きようとしていた。第3軍司令部はここに至って第7師団の投入を決定し、第7師団の兵は二百三高地への突撃を開始した。
前線での兵力の劣勢を感じたロシヤ軍は、要塞の各部から兵力を抽出して「高い山」の確保を命じたが、「高い山」への接近路は日本軍砲兵に対して暴露していた。日本軍砲兵は容赦なく砲撃を加え、ロシヤ兵を殺戮した。
歩兵の戦闘はいつ果てるともなく続いていた。11月30日には日本軍歩兵は山頂を一時占拠したが、ロシヤ軍の逆襲にあって奪還された。日本軍の損害は7000名に達していた。
12月1日午後、第7師団は一時攻撃を中止して塹壕の掘削と火力の再配置を行った。
3日間の戦場整理と準備工事ののち、12月5日に攻撃は再開された。その日の朝から、二十八珊砲をはじめとした日本軍砲兵は二百三高地に集中射撃を加え、山上は炎と爆煙に包まれた。また、海軍陸戦重砲隊の諸砲は、二百三高地に火力支援を与えているロシヤ軍砲台を射撃してこれらを制圧した。
昼前から始められた歩兵突撃はこの火力支援のもとで日本軍優勢に進み、午後には日本軍が山頂を再び占拠した。ただちに工兵が呼び寄せられ、ロシヤ兵の逆襲に備えた陣地構築が始まった。陣地には機関銃が据えつけられた。
同時に砲兵陣地との間に電話線が引かれた。二百三高地から旅順港の観測ができれば、二十八珊砲の巨弾は旅順艦隊の艦艇を自在に捉えることができる。はたして二百三高地から旅順港全体が見えるか？
――見えた。
12月5日午後2時、二十八珊砲は港内艦艇への精密照準射撃を開始した。砲弾は相次いで戦艦、巡洋艦、駆逐艦、砲艦に降り注ぎ、艦艇は大火災を起こした。ロシヤ艦隊の司令部は、このままでは艦艇は沈むか、沈まなくても鉄屑の塊と化すであろうと覚悟し、破壊を防ぐために戦艦の船体に注水して自沈させた。ここに旅順艦隊は壊滅した。
同時に旅順要塞の陸戦反撃能力も潰えた。二百三高地の激戦は、確かに多くの日本兵の命を奪ったが、それと同程度に要塞内に残されたロシヤ軍の余力も奪ったのであった。
第三次総攻撃と二百三高地争奪戦における日本軍の死傷者は1万7000名、ロシヤ軍の死傷者は6000名だった。
二百三高地から旅順市街・港内を望む
・コラム 旅順要塞は欠陥要塞？
金城鉄壁を誇りあまたの日本兵の血を吸った旅順要塞だが、実はヨーロッパ基準で見れば欠陥要塞だった、という考え方がある。
旅順要塞の最大目的は、旅順軍港と旅順艦隊を守ることである。しかし、史実においては、旅順要塞の本体陣地が陥落する前に、二百三高地を奪われただけで、旅順港内は日本軍の重砲の射程内に入って、旅順艦隊は潰滅してしまった。
ヨーロッパ基準で考えれば、軍港要塞の主防御線は、敵の重砲が港内に届かないように、もっと外側に設定すべきものであった。
旅順要塞の主防御線は港内からおよそ３キロメートル。それにくらべると、フランス海軍の副次的基地であるシェルブール要塞は港内から最短距離でも４キロメートル半、ロシヤ軍のヘルシンキ要塞は泊地から約10キロメートルの距離をとっている。
これらにくらべれば、旅順は確かに小規模で不十分な要塞であると言える。旅順ですら不十分というのは、げに当時の列強の軍事力というのは、極東の片隅から見ていては理解できないほどの威力を誇っていたのである。
ロシヤ軍は当初旅順要塞の複郭陣地線総延長を70kmとして計画したが、予算の関係から18kmに縮小せざるを得なかった。開戦が迫ってから追加工事として7kmの陣地線の新設を企て、これが完成していれば二百三高地などの防御はより堅固になるはずだったが、工事未完のまま日本軍の攻撃を待つことになった。
この計画縮小が旅順艦隊の壊滅を招く遠因となったのである。
第四次攻撃
二百三高地の激戦の間も、主戦線での工兵作業は続いていた。また、二百三高地方面から再度正面を東北正面に転換した砲兵部隊は、東北正面の堡塁群に間断なく砲撃を加えた。
12月15日には、二十八珊砲弾が東鶏冠山堡塁天蓋を貫通して炸裂し、たまたまそこにいたロシヤ軍の東シベリア第7師団長のコンドラチェンコ少将が戦死した。彼はここまでの防戦の間、たびたび逆襲によって日本軍を撃退して将兵の士気の低下を防いでいた象徴的な人物であり、彼の死によって城内のロシヤ兵の士気は大きく低下した。
第11師団は12月18日午後に、東鶏冠山北堡塁の地下から、堡塁構造物の大爆破を行った。日本軍は爆破孔に対し即座に突撃を行い、わずかに残った堡塁根幹部の構造物に立てこもったロシヤ兵を攻撃して、19日に日付が変わるころにこれを駆逐、堡塁全域を占領した。
第9師団は12月28日午前10時に二龍山堡塁の大爆破を行って突入し、午後8時にこれを占領した。
第1師団も12月31日に松樹山堡塁の大爆破を行い、微弱な抵抗を排してこれを占領した。
その間に第7師団は要塞西方で攻撃を継続し、半島の南西端にある鳩湾との間の交通路を切断して、外部からの物資流入路を完全に閉鎖した。
先ほどもリンクを貼った「春や昔」さんから、爆破後の東鶏冠山北堡塁の写真をご覧いただこう。陣地の構造が根本から破壊されているのがわかる。
もはやロシヤ軍にはこれらに対して反撃する余力が残っていなかった。
翌日、1905年1月1日には、東北正面第二線の主陣地である望台堡塁への総攻撃が予定されていたが、その日の午後3時30分、水師営の日本軍拠点にロシヤ軍の軍使が訪れ、要塞の降伏を申し出た。ただちに降伏条件の折衝が行われるとともに、攻撃行動が中止された。降伏受け入れの事務手続きと実施要綱の定めを終えた日本軍は、1月13日に旅順に入城した。
ここに7月末から続いた旅順攻略戦は、日本軍の血と汗にまみれた勝利に終わった。
攻城の総期間は155日、攻城参加人数は後方人員を含めて延べ13万、損害は死傷実に5万9000名にのぼった。
降伏時に残っていたロシヤ軍の兵数は約1万名、病院に収容されていた負傷兵は1万2000名だった。ロシヤ軍の死傷者は延べ3万名に及んだ。決してロシヤ軍にとってもこの戦いは楽なものではなかったのである。
まとめ
決して日本軍の指揮は巷間言われるように拙劣ではなく、歩兵がだめなら砲兵、砲兵がだめなら工兵、というように、一回一回の戦闘から常に学び続けて新しい手を繰り出しており、その適応能力には感服せざるを得ない。
10年後の第一次世界大戦で、塹壕陣地に対して芸のない歩兵突撃を繰り返した英仏軍の指揮官たちよりよっぽどまともで優れた指揮であるといえる。
それでもなお要塞の攻略には半年の歳月と6万近い損害が必要だったのは、最初に述べた通り、世界で初めて近代要塞というものを攻略するために必要なコストであったと言うしかない。
まさに兵は兇器であるとの感を禁じ得ない。
第9師団の衛戍地である石川県の記録と、大江志乃夫先生の「日露戦争の軍事史的研究」を突き合わせて書かれた、金沢大学の橋本哲哉先生の論文によると、第9師団は第一回総攻撃で戦力の46％以上を失い、第7師団は二百三高地の戦闘で戦力の55％余りを失っている。
各県の男子人口に占める日露戦争戦死者の割合の一覧を見ると、北陸3県（第9師団管区）と四国4県（第11師団管区）が全て上位10県に含まれている。
いかに旅順の戦いが人命をすりつぶした戦いだったかがわかる。
◇
・本稿の執筆のきっかけ
本稿を執筆するきっかけとなったのは、軍事史研究家の服部浩洋氏が貸してくれた「明治三十七八年海戦史」を読んだことだった。
この本は海軍の公刊戦史だが、本書の第二巻には「旅順要塞戦の梗概」という題で、その実非常に精密な攻略戦の姿が記載されており、それを読むと、「乃木将軍、結構まともな指揮やってるじゃないか」という感想を得た。
実際、日本軍は失敗から学び、失敗を繰り返さず、常に新しい戦術で要塞に立ち向かっており、素人が文句を言えるような拙劣な指揮は決して行っていない。
これを読んだ私は、「失敗から学ぶ日本軍」の姿をぜひ世間に知ってもらいたいと思ってこの文章を執筆した。
残念ながら、構想してから実際にとりかかるまでの間が非常に長く、その間に長南政義先生などの優れた著作が先に世に出てしまったため、この文章もいささか新味を失ってしまった感がある。
しかしそれでも、ＮＨＫが「坂の上の雲」の再放送をやってくれたこともあって、完成に対する意欲が増したため、2025年になってようやくこの文章を世に出すことができた。
「決して乃木将軍は愚将ではない」ということを、いま一度皆さんに知っていただきたいと思うのである。このページを開いてこの文章を読んでいただいた皆様に感謝して、この稿を閉じることとする。
さあ、長南先生の本を読んで「答え合わせ」をするかー。
2025年2月15日 大名死亡